『はにわ風呂はいつ来ても気持ちをゆっくりさせてくれて良いです。 あの山下清画伯の壁画とはにわのお陰です』
『山下清さんの壁画もすばらしい。心がほっこりしますね』
『山下画伯の原画をもとにした大壁画を眺めながらの朝の入浴は最高でした』
辰巳館のアンケートでは、はにわ風呂の山下清さんの壁画を愉しんでくださった方々からのコメントを多数いただきます。
今回は、そんな山下清さんの壁画が誕生した際のお話を紹介したいと思います。
山下清画伯が最初に辰巳館に来たのが昭和35年 (1960) 、埴輪風呂の壁画が完成したのが昭和36年 (1961)のことです。
今から約60年前、昭和36年(1960) は所得倍増計画がはじまり、女子バレーボールチームがヨーロッパ遠征で24戦無敗という結果を残し「東洋の魔女」とよばれ、音楽では坂本九さんの「上を向いて歩こう」が流行した年でした。
実は、はにわ風呂の壁画、当初は前衛的な作品(時代に先駆けたような作品)が描かれる予定でした。しかし、3代目館長の「前衛は描いた人しかわからないから嫌だ。おじいさんも子供もお風呂入るから、楽しくなるような絵が良いんだと。で、例えば山下清みたいな」といった言葉によって予定が一変、山下清さんご本人を招集する流れになったそうです。
はじめて山下清さんが辰巳館に来られた際、連れてこられた先生から「清、お前これからここの風景描くんだから川を見とけ」といわれ、清さんはなんと、3時間以上に渡りずっと川を見続けていたそうです。
そして、後日、画用紙をいっぱい持ってきてスケッチを描き、清さんの弟、辰治さんの手伝いも受けながら原画が完成し、それを特殊ガラスを使って山下清さんの活動を支えた式場隆三郎先生、美術工芸家の手塚昇先生らと共に情熱を傾け50日かけて完成しました。
「おじいさんも子供もお風呂入るから、楽しくなるような絵を」三代目館長の想いが今もしっかりとお客様に伝わっていること、大変、嬉しく思っております。